三原色によるこころの持ち方の説明




 色には三原色があり様々な色を構成する基になっていますが、この三原色には物質の三原色、つまり絵具などで色を塗って絵を描いたりしますがこの色材による三原色と、光の色による光の三原色の2種類があります。物質の三原色は図のように色んな色を塗り重ねてゆくとドンドン暗い色になり黒くなってゆきます。光の三原色はそれぞれの色を合わせてゆくとクリアな光、白光色となります。さて、これをひとのこころに例えてみましょう。

物欲にまみれて、もっともっと欲望のままに様々なものを求めてゆく心は言わば、物質の色と同じことになります。欲望を満たそうと様々なものを手に入れてゆくと、その瞬間は満足するのですが、ひとの心はそれでは満足しません。すぐに次の物が欲しくなりどんどんと(上の図で言えば)物質の色を塗り重ねてゆくことになるのです。さて、このような状況下では失うという恐怖が常に付きまとうことになります。物を得て、手にして安心したいこころはそれを失うことへの恐怖と反比例して強くなることになります。そして、その恐怖の根底にあるものは死への恐怖です。この恐怖から逃れるために、安心を得たくて様々な手立てを考えて物質的なもので満たし、安心しようとしますが皮肉なことに得れば得るほどその恐怖は増す傾向にあります。

一方で、食べることができて健康で普通に生活していければそれでいい。物欲に囚われることなく宇宙のシナリオのままに生きていけるような飄々とした生き方をしている人は、いわば光の色を生きています。人生の様々な経験を経て人と人のこころの交流を大切にし、様々な気づきを得ながら自分を進化させてゆく生き方は、気づきを重ねてゆくごとに、こころの光の色を重ねて行き、クリアな光、白光色へと近づいてゆきます。ここでは死への恐怖というものが次第に薄らいでゆきます。それは物質を纏わぬ魂の存在への確信が深まってゆくからです。

ひとの真の願いは、健康で幸せに生きたい。

ということです。こころの持ち方でそれは如何様にもなりそうですね。

さて、あなたはどうされますか!?

追伸

 死への恐怖の根底にあるのは時間への恐怖だと思います。ああもう時間がない、急がなければ、あと少しで終わってしまう。ひとはどれだけ時刻という地獄に悩まされてきたことでしょう、時の刻みではなく天の流れ、天の刻み(天刻)で生きれば、そこは天国になるのかもしれません。

 時間というものがなければ生も死も無い、始まることも終わることも無い。ただ、そこに在る。その事実だけが延々と延々と有るのです。それが天の営みの姿なのだと思います。時刻の単位は時、分、秒ですが、私は天の刻みの単位は天(ア)のメぐみ、つまりアメの一滴水だと思うようにしています。一日、1滴水のアメ(天のメぐみ)を生きてみるわけです。そして、一日が終わってみて今日はどんな一滴水だったかな~と、アメを振り返ってみます。そして次の日、目覚めたらまた、新たな一滴水を始めるわけです。天の刻みで生きることは焦りや恐れの軽減に繋がり、健康で幸せな人生への一歩(一滴)になってゆくと思います。

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