芯空の現代人

 クリニックを訪れ、カウンセリングを求める人の多くが、こころの中心に芯がない。
芯が空になっている人がほとんどだ。なので、拠り所を自分の外に求めることとなり、外環境因子に影響を受け、左右されることが日常となり、自己をすり減らしてまいってしまい、当院を訪れることとなる。
このような世相は、年々強まってくる傾向がある。そんな折に新型コロナウイルスの流行が始まった。今度はこころに芯が無い上に、自分の外に拠り所を探そうとしても、今までの常識は通用しなくなり探そうにも探しようがないという事態に陥ってしまった。
 それでも、人々は確かなものを求めてさ迷いはじめている。今は流行の真っただ中で自己防衛が精一杯だが、これが長期化してくると心身は疲弊しはじめるので、やはりどうしても拠り所が必要となってきます。
 そこで、目を向けるものは何か!? 新型コロナウイルスの流行にも左右されない絶対的な拠り所を皆、探し始めるのです。それは私たちの健康が安全であるという保障が伴わなければ人々は安心ができません。それは陰鬱な部分ではなく陽の部分に常にフォーカスさせてくれる、少なくとも精神衛生上良いものでなければなりません。それは何でしょうか?
 この様な事態になっても何ら変わるものの無いもの、それは自然であり宇宙でありそれらを動かしている絶対的な法則、自然則であり、宇宙則です。これを私たちは道端に見つけることができます。道端に生えた植物に見ることが出来ます。アスファルトを破って出てくる雑草にも見ることができます。それは、何があっても太陽に向かって伸びてゆくという絶対的な自然則に従って生きる植物に見られる絶対的な芯理です。
ここでいう芯理の芯とは草冠に心と書きますが、つまり草の心を意図しています。芯理とは草の心の理です。何があっても太陽に向かって伸びることが生きることである芯理、つまり芯理=自然則であり自然則を成り立たせているバックボーンは宇宙則です。これは宇宙創造の芯理にまで遡ることができます。
つまり、宇宙創造に始まる芯理が、この道端の雑草にも認めることができるわけです。
私たちはその芯理のエネルギーを宿した食物を食し心身を形成し保っています。私たちはついつい自分の外に拠り所を探そうとしますが、己の中にこの芯理が充満していることを忘れてはなりません。拠り所はすでに私たちの体の中にあるということなのです。
仏教の言葉に「一切衆生 悉有仏性」我々一切のいのちあるものは仏になる性、可能性をもっている。という言葉があります。つまり誰にでも仏性が宿るといわれています。
芯理が宿るというのはこれと同じことです。どんなことがあろうとも太陽に向かって伸びようとする植物の芯理、その性が私たちに宿っているわけです。それこそが、私たち自身の拠り所であり、この拠り所は自然にも繋がり、宇宙とその根源にもつながっているということがわかっていただけたかと思います。

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